2026.09.25 ロザリオ学園 ブログ
カレンダーの小さな赤い文字に「防災の日」とある。その四角に丸を付けた指先が、ふと宙ぶらりんになる。非常袋は押入れの奥、懐中電灯は電池が入っていたはず、連絡先はスマホに全部に入っている・・・そう確認しかけて私は思い直す。
備えは道具より先に言葉から始まるのではないか。いざというとき、私たちは何を合図にどこに合流し、誰に「助けて」と伝えるのか。答えは家の中の会話の数だけあるのに、普段は案外口に出していない。
園の一日を眺めていると、子供たちの世界には安定した“生活のリズム”がある。時間になれば片づけ、歌が終われば列になり、先生の短い合図で同じ方向へ動く。その連なりは、子どもの心に「安心の地図」を描く作業だと思う。防災を家で考える最初の一歩も、実はこれと同じだ。危険を並べ立てるより、先に普段の暮らしの地図を家族で言葉にして確かめ合う。「停電したら、どのライトを使う?」「親がいないとき地震が来たら、どこで待ち合わせる?」「近所で頼れる人誰?」・・・問いは短く。答えは一緒に決める。段取りがわかるだけで、人は不安の半分を手放せる。
「防災の話をすると子供が怖がるのでは」と心配する声がある。けれど、子どもは思うよりずっとたくましい。避難訓練では、年長さんが年少さんの歩幅に合わせ、列が静かに伸びていく。
「一緒に動こう」の一言で、恐れは“やること”へ姿を変える。家庭でも同じだ。非常袋を大人が黙って詰めるのでなく、子どもと中身を広げて触ってみる。背負って階段を上り下りしてみる。保存食はおやつの時間に一度食べて”知っている味”にしておく。懐中電灯は引き出しに眠らせず、寝る前に「5分間だけ暗闇ごっこ」。大げさにしなくていい。遊びの延長で入った手順は、どんな説明より強い。
ここで、少しだけ私の昔話をさせてほしい。現役のころ、火災現場の煙の中での頼りは”命綱“だった。視界のない建物内、合図は声ではなく背中を叩くリズムで、互いの位置と意思を確かめ合う。一本のロープを握るみたいに、文字通り生き残るための繋がりだ。質感がまるで違う。先生の肩に置かれた小さな手、友だち同士の「一緒に行こう」の視線、親がかがんで目線を合わせる一瞬・・・やわらかな糸のように見えるけれど、重なれば驚くほど強い。だから私は、家族の防災も”強い道具“ではなく、”重なる糸“から編み上げたいと思う。
そのために今日からできることを三つ。
第一に合図を決める。懐中電灯、非常袋、玄関の鍵の場所に誰でも分かる共通の「目印」をつけ、家の地図に避難場所と合流点を赤丸で書き込む。
第二に合流の約束を作る。スマホが使えない前提で連絡先を紙に書き、家の決まった場所に貼る。「幼稚園にいたらここ」「家にいたらここ」など状況ごとに具体的に。
第三に「助けて」と言える練習をする。どんな大人に、どんな言葉で助けを求めるかを家で一度声に出してみる。園の先生、名札をつけた店員さん、制服の人・・・顔の浮かぶ相手に置き換えるほど、子どもの言葉は強くなる。
夕方親子の表情には昼よりやわらかな光が宿る。子どもが一日の冒険を語り、親が全身で受け止める。その光景を見るたびに、私は思う。家族の会話は家の中で一番強いグッズだと。
家具を固定しても、言葉が固定されていなければ、心が揺れる。反対に普段から言葉が家の“要”に通っていれば、たいていの揺れは受け止められる。
防災の日は「不安を並べる日」ではなく、「安心を言葉にする日」にしたい。帰り道に近所の”危ない場所”と”頼れる場所”一緒に確かめ、食卓で非常袋の好きな味をひとつ増やし、寝る前に懐中電灯を五分だけ点けてみる。そして今夜、家族で三つの話をしてほしい。
「合図」・「合流」・「助けて」
小さな相談は、見えない備え見える形に変える。明日が今日と同じである保証はどこにもない。だからこそ、今日のうちに言葉で結んだ糸を一本、また一本と重ねていこう。きっとそれが私たちの暮らしを静かに、しかし確かに強い命綱になる。

安全管理部
部長 坂田 隆志
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